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2006年4月26日 (水)

「秋山清紀行 4」

 秋山にとっての本格的な詩活動は、一九二四年、二十歳の時、斎藤峻らとともに創刊した詩誌『詩戦行』から始まる。以降、『単騎』(後に『矛盾』と合併)、『黒色戦線』、『弾道』、『解放文化』、『文学通信』、『詩行動』、『詩作』、など、戦前の苛酷な情況の中でそれらの雑誌を通して活動していった。「アナキズム的な立場からの文学活動として発行されるのでありながら、必ずしもアナキズムを同人たちに規制しようとはしなかった。運動の進め方として(略)ただ強制は非人間的で反自由である、という考え方が重んじられた」と後に秋山はそれらの雑誌について述懐しているが、その後の詩法や思考の所在を定める重要な契機となったことは確かだ。例えば、無政府共産党事件による総検挙によって七号(三五年十一月)で潰された『詩行動』は、編集発行人・清水清によれば、実質的に戦前最後のアナ系詩雑誌だった。翌年、二・二六事件が起きるが、秋山は詩「ある朝」をすぐに発表している。清水は、「その歴史的な事件に殆んどの詩人が触れ得なかった」ことを強調しながら、「叫ぶのではない方法に拠ったから書けたのである」と評している。詩「白い花」にも通じる秋山の一貫した視線を、清水は『詩行動』の方法だったと述べている。

(「秋山清ワールド・秋山清著作集Website」、『図書新聞』06.4.29号)

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