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2006年4月27日 (木)

「『噂の武士』をめぐって」

 『噂の武士』という作品集は、わたしにとって様々な思いを換気させてくれる本だ。
 つげ義春の作品歴や著作年譜といったものを見れば、意外に思うかもしれないが、最初の作品集は、東考社から発売された『噂の武士』だとされている。ここでは、通常、著書(あるいは著作)として見なすべきものを、作品集としてのみ考えられているため、一冊の単行本(長篇作品)として出されている貸本漫画は作品集リストから除外されているのだ。貸本漫画という形態に、なにか偏見と不明さがあるのだろうか。そもそも、漫画家の作品歴や著作歴を考える時、貸本漫画歴を分断して捉えることが、わたしには理解できない。六八年に出た「ガロ6月増刊号・つげ義春特集」に掲載されている「作品リスト」は、長篇、中篇の表示はあっても、特別に貸本漫画作品といった区別はしていない。わたしの考えは、つげ義春の最初の著書は、一九五五年(当時は、五三年と見なされていた)、十八歳の時に若木書房から出された『白面夜叉』だと思っているから、『噂の武士』を、“つげ義春、最初の作品集”という思いは、まったくない。
 ところで、わたしには、『噂の武士』を入手した際にまつわることで忘れることのできない記憶が残っている。
 記憶は、いつだって不確かなものだ。それでも、ただ一度、桜井昌一氏に会ったことは、記憶の網目から取り出すことはできる(不確かな記憶は、もしかしたら二度かもしれないと示唆している)。
 当時、東考社は東京都下、国分寺市本多五丁目にあった。わたしは、一九六八年四月に上京し、国分寺市東元町二丁目の〈野人舎〉と、下宿人たちが勝手に命名したアパートとは到底いえそうもない建物に住んでいた。わたしは、当時、「カムイ伝」を見るためだけに、「ガロ」を購入していた。衝撃的な、「ねじ式」が掲載された「ガロ6月増刊号 つげ義春特集」が、出たとき、下宿の仲間のNさんが、すごい漫画が発表されたといって、わたしの部屋へ息せき切ってやって来たことを、昨日のことのように鮮明に覚えている。わたしはといえば、その時、まだ購入していなかったのである。
 『噂の武士』が刊行されていたのを知ったのは、「ガロ」に広告が掲載されていたからだ。わたしが、いつその広告を見て、住所が国分寺であるからと、直接、買いに行ったのかは、もう覚えてない。歩いて十五分から二十分近くかかったろうか、角に交番があり(今でもまだある)、その脇の路地を入った先に東考社はあったように思う。不確かな記憶を、たどれば、直接買い求めに来た未知の若者に対して、笑顔で接する桜井氏の立ち姿は覚えているが、どんな会話をしたのかは、まったく記憶にない。新書判142頁、定価220円の『噂の武士』(六六年十二月発行)を手にして、その時は、なんとも充実した気分で下宿へ帰ったはずだ。
 さて、ここから記憶は怪しくなる。部屋でページをめくっていくと、乱丁本だったことに気がつく。“笑顔”で接してくれた桜井氏のことを思い、交換してもらうのが、なぜかためらわれたのだ。そのまま、換えてもらわずにいたのか、すぐに、交換に出向いたのか、はっきりしない。ここからの記述は、桜井氏の名誉のために言っておく。けっして東考社・桜井氏を批判したいがために、記憶の断片を紡ぎ出そうとしているのではない。わたしのもうひとつの不確かな記憶はこうだ。迷いに迷ったすえ、思い切って交換しに行った。ところが、持ち帰ってみたら、またも乱丁本だったのだ。さすがに、もう一度、行くという気持ちにはなれなかった(たぶん交換しに行った時の申し訳なさそうな桜井氏の表情が痛々しかったのだ)。もう桜井氏の落胆する顔を見たくなかった。どこかで、つげ義春の作品集を出した桜井氏への敬慕の思いがあってそうしたはずだ。マニアなコレクターだったら、しつこくまた交換に行っただろうが、わたしには、そういう趣味はない。今、手元にある『噂の武士』(帯付だったが、もうボロボロである)は、つげ義春の「まえがき」、「古本と少女」、「噂の武士」、「西瓜酒」、「女忍」の四作品、白土三平の解説「つげ義春とその作品」は、問題がなかった。「噂の武士」と「西瓜酒」(開始頁85)の間に収載されていた「不思議な手紙」(開始頁59)に乱丁があったのだ。64頁の次の頁が81、それが96頁まで続く。そして次がまた81頁で始まっていくというものだった。つまり、「不思議な手紙」は十六頁分抜けた変わりに、他の頁分が製本されてしまったことになる。
 つげ義春は「まえがき」で、次のように述べている。
 「突然、新書判ブームが起り、ドッと旧作が放出された。よいマンガは何度でもくり返し読んでもらおうとの趣旨であるらしいが、一度売った原稿が二度のおつとめをしようとは夢にも思わなかった。
 今さら旧作をひっぱり出し恥の上塗りはしたくないのだが、労せずして金が入るという誘惑に理性を失ってしまったのだ。
 したがって、本書に収めた五ツの短篇は、冷静な判断によって選ばれたものではない。たまたま手もとに原稿があったりしたからだ。」
 当時から、つげ氏は衒いをもった文章を綴っているのが印象的だ。解説で、白土三平が「透明さ、張りつめた美しさ」という表現でつげ義春の世界を述べているのを読んで、“このままの本”でいいのだと、わたしは思ったのかもしれない。こうして、桜井氏の笑顔と困惑した顔を喚起させる『噂の武士』は、わたしの書棚の中では、常に目を引く場所に収められる本となったのである。

(『貸本マンガ史研究・13号』03.8)

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