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2006年4月25日 (火)

貸本マンガ史研究会 編著『貸本マンガRETURNS』(ポプラ社刊・06.3.8)

 「貸本マンガ」という言葉を思い浮かべる時、ある時代の相や文化的な相を抜きにしては語れないといってもいい。あるいは、「紙芝居」と並んで、懐古趣味的に振り返られる場合もあるかもしれない。さらに、誰にでも、少年期・少女期というものがあり、アドレッセンス前期のなかで体験されていったことは、その後の自分自身の様々な感性を育む契機として大きな意味をもっていると捉えることもできるはずだ。わたしの場合は、まさしくそうだった。『貸本マンガ史研究9号』(現在は16号まで刊行中)にも書いたことだが、ほぼリアルタイムで、白土三平の『忍者武芸帳 影丸伝』を借りて読んだ。読み終えた時の衝撃は、当時、中学一年生だったわたしにはどんな書物よりも遙かに大きかった。マンガというものは、中学、高校と上級に進学していくに従って読まなくなる(読むことを強制的に禁止される)ものだったが、たぶん、わたしの世代(大学生がマンガを熱心に読んでいるとはじめて喧伝された世代)以降からは、成人してもマンガは読んでもいいものになったといっていい。いまでこそ、マンガは子どもから大人(上限は限りなく上昇している)まで、読むことが当たり前になっているが、かつては、マンガは子どもだけのものであり、そこには、「知」の源泉がない、たんに娯楽的なものだと思われていた。その最も象徴的なのものが、「貸本マンガ」群であった。だが、わたしたちが、上級学生になっても手放さないで読んでいたマンガ(もちろん「貸本マンガ」も含む)は、どんな古典的な文学作品よりも魅力あるもので、なおかつ多くの事柄を啓発してくれるものだったのだ。いま振り返ると、『忍者武芸帳 影丸伝』をはじめとして、漫画・劇画作品が、文学作品や映画作品と充分に拮抗できるまでの物語性や表象性を獲得しつつある時だったともいえる。わたしは、高校生の時、白土の「カムイ伝」を読むためだけに『ガロ』を購読しだし、つげ義春の「沼」に出会って衝撃を受け、『ガロ』を通して、さらに水木しげる、つげ忠男、林静一を知った(誤解を恐れずにいえば、わたしは手塚漫画にはなんの魅力も感じなかった)。つげ兄弟も水木も、そもそも貸本マンガ家として出発しているのだ。そう考えるなら、現在、流通する多くの漫画・劇画作品は、こうした基層に支えられてきたといっても、決していい過ぎではない。極論すれば、読者年齢層を拡張させ、ひとつの表現作品としてマンガを屹立させたのが、「貸本マンガ」の『忍者武芸帳 影丸伝』であったといってもいい。
 「貸本マンガ史研究会」のメンバー(本書の執筆者を列記しておく―梶井純、吉備能人、権藤晋、ちだ・きよし、三宅秀典、三宅政吉)にとって、わたしの思い込みは迷惑かもしれないが、彼らが、わが国の高度成長期前、つまり、〈戦後〉という意識が依然、潜在していた時期の、十年にも満たない「貸本マンガ」隆盛期に焦点を当てて論じることは必然であったと思う。
 「短命であった貸本マンガが、現在のマンガの隆盛を準備したものである」からこそ、「貸本マンガの全容を戦後史的な視角から記録し、分析する活動」を通して、「貸本マンガの豊かな、そして可能性に満ちた世界を提示しよう」(本書「あとがき」)として、研究会を結成し(一九九九年)、研究誌『貸本マンガ史研究』を発行、そして本書を彼らは編んだのだ。当然、ここで重要なことは、「戦後史的な視角」ということであり、なによりも「マンガ」に強く魅せられていること対して率直になることである(終章「貸本マンガに溺れて」は、そんな文章だ)。
 さて、本書の内容に触れていく。
本書の論稿は、すべて書き下ろしである。総論的な「序章」と、「終章」の間に、全5章を配置し、「時代劇マンガ」、「ミステリー、ハードボイルド、アクションマンガ」、「少女マンガ」、「怪奇マンガ」、「青春マンガ」といったジャンルに分け、それぞれについて精緻に論及している(数多くの図版、用語解説的なコラム、巻末の充実した関係年表・リスト類、そしてなんといっても、うらたじゅんの“パラパラマンガ”があり、豊穣な構成になっている)。
 「ここで特筆しておきたいのは、『幕末風雲伝』(引用者註=つげ義春作品)のような作品は、一般雑誌には絶対に掲載されなかったことだろうということである。絶望感とニヒリズムに覆われたマンガは、貸本マンガにおいてこそ通用した。」(「1章 ヒーロー現る!」)
 「佐藤(引用者註=『黒い傷痕の男』などの代表作がある佐藤まさあき)にとって戦後とは、『経済成長』のなかで簡単に忘れてしまえるような次元のものではなかった。そして佐藤の読者たちも同様に厳しい時代と社会を現実に生きたわかものたちであった。」(「2章 ミステリー、ハードボイルドの誘惑」)
 「(引用者註=水木しげるの)『悪魔くん』が目指した世界は、ひとつの理想郷(ユートピア)であった。『河童の三平』に描かれた郷愁にみちた世界が、かつてあった理想郷だとすれば、『悪魔くん』が求めた世界は、まだ見ぬ『理想郷』といえよう。(略)貸本マンガの登場とともに怪奇マンガも生まれた。(略)勃興してきた大手資本によるマンガの出版は、その表現領域を広げ、怪奇マンガもまたそのなかに取り込むことになる。それは貸本マンガで進化した怪奇マンガによって支えられているだろうことはいうまでもない。」(「4章 異世界への誘い」)
 執筆者たちの思いを凝縮してみれば、こうなる。これらの論及が示すものは、「豊かな、そして可能性に満ちた世界」というものが、「貸本マンガ」をめぐる場所にあったということだ。それは、まぎれもなく〈戦後〉という時代の相を象徴したものである。
 だから、わたしは貴重で重要な一冊が、いま刊行されたと、なんの衒いもなくいっておきたい。

(『図書新聞』06.4.22号)

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