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2006年4月25日 (火)

橋爪大三郎 著『隣りのチャイナ―橋爪大三郎の中国論』(夏目書房刊・05.12.1)

 社会学者・橋爪大三郎の「中国論」である。わたしは本書を前にして、やや意外な思いを持ったといっていい。つまり、橋爪と「中国」の“取り合わせ”に対してである。「あとがき」によれば、最初に中国を訪れたのは一九八八年とのこと。以来、中国語会話を習得しながら、何度も訪れ、中国の学際人との交流を重ねてきていることを初めて知った。本書はいわば、この間の集大成といった趣がある。発表年次は、一九九三年のものから、最新の書下ろし論稿まで、インタビュー構成あり、対談、座談会ありと多彩にわたっている。
 “隣りのチャイナ”とは確かに、意味深い言葉だ。近くて遠いとはよくいわれるいいまわしだが、日本(人)と中国(人)の間には、つねにそんな隔たり感をもたらす。橋爪は、もう少し踏み込んで、「似て非なる国、中国と日本」と率直に捉えている。
 「『不幸な過去』(歴史問題)が互いを隔てているだけではない。中国と日本は、文化が異なり、社会が異なり、人びとの考え方、感じ方、行動様式が異なるのだ。このことをよくわきまえないなら、相手を理解しようとすればするほど、誤解を生じる。」(「チャイナ原論」)
 「中国は世界の中心であることに慣れており、反対に、日本は世界の周縁であることに慣れている。中国人は、なんでも良いものは中国にあると思っており、反対に、日本人は、なんでも良いものは外国にあると思っている。だから日本人は、外国のものを取り入れるのに抵抗がない。」(「似て非なる国、中国と日本」)
 ここでは、日本(人)と中国(人)をアジア(人)という枠組みだけで同じカテゴリーに入れることはできないということが示されている。むしろ、列島性による地勢的な環境と大陸性という広大な空間領域を感性に組み入れられていることの大きな違い、非対称性にこそ視線を潜らせる必要が、日本(人)と中国(人)の懸隔にはあるといっていいかもしれない。もしかしたら、日本(人)が、アジアにおける特殊形態を指し示していると見た方がいいかもしれない。十五年戦争を経ながらも、マクロ的数字(国民総生産・GDP)では西欧に肩を並べる、あるいは超えたかたちの高度消費社会段階に達した日本が、経済発展において後発の中国や韓国の格好のターゲットになったのは、当然のことであった。六〇年代末の文化大革命によって未曾有の権力闘争を経ながらも、毛沢東政権から鄧小平政権という政治路線は、十億人以上の国民を有する社会主義国家体制化という空虚な政治的実験から、改革開放政策・市場経済化への転換を見事に遂げていった。このことは、驚嘆に値する。あの八九年の天安門事件が、いまではなんの衝撃にもならないかたちへと変容していることは、その証左だ(もちろん、現支配体制は歴史的事象からの抹消に懸命なのだが)。そして、現在、九〇年代からの急激な経済成長が停滞することなく、依然、高い成長率をもって、やがて、アメリカ、日本に次ぐ、世界第三位のGDPを達成する見通しだ。本書の中で橋爪の対論者、精華大学教授・胡鞍鋼は、次のように答えている。
 「中国が急速に台頭して以来、アメリカとすでに戦略上の競争関係に入った。中国の指導者は、そのように明言はしていませんけれどもね。世界史をみると、どんな大国も、急速に台頭したあと、旧来の大国に挑戦状をつきつけるものなのです。私の計算では、二〇一五年には、中国のGDPは、アメリカと肩を並べる。OECDや世界銀行やランドコーポーレーションの予測によると、その時期はもっと早い。(略)そこで結論はこうです。中国は世界最大の経済大国になる。中国は世界最大の農産物生産国になる。中国は世界最大の工業製品生産国になる。IT分野でも世界一になる。このようなことは、中国人自身も予想しなかったことです。」(「21世紀、中国はかつてない壮大な実験に挑戦する」)
 橋爪は、いくらか遠慮気味に疑義を呈しているが、概ね胡鞍鋼の未来予測を是認している。わたしは、占い師になるつもりはないから、“中国は世界最大の経済大国になる”かどうかには、いっさい関心はない。マクロ的数字を累積して大国だというのは、“世界の中心である”中国人にとっては、都合のいいものだ。ミクロ的にいえば、国民一人当たりのGDP値が、世界一になるわけではない。また、本書でも詳細に論じられているように、都市と農村の格差拡大、膨大な失業者数(特に国営企業に多いことが、わが国とは転倒している)、深刻な環境問題と、急速に経済発展した負性が露出しだしている。政府方針が先富論(一部のひとがまず先に豊かになればよい)から共富論(共同に発展して豊かさを共有する)へ移行していったとしてもだ。
 「中国は伝統的に、資源も文物も、よいものは何でも中国にあると考え、周囲の民族や国家をレベルの低いものと見下してきました。こうした体質は、覇権主義ではないのか。」(「21世紀は『アジアの世紀』か」)
 「最近の中国の輝かしい発展は、毛沢東が火をつけた中国人の誇りとナショナリズムの、具体的な成果なのだと言っても間違いではない。」(「チャイナ原論」)
 こう述べる橋爪の中国論は、卓越だ。覇権主義とナショナリズムというキー・タームだけ採りださせば、もうひとつの“帝国”、アメリカに類推できることに、中国の現在の「意味」が孕んでいるといってよい。

(『図書新聞』06.4.8号)

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