2012年4月21日 (土)

田辺聖子 大島渚 北杜夫 吉本隆明 城山三郎(掲載順)たち73人・著、撮影 首藤幹夫『いつもそばに本が』(ワイズ出版刊・12.1.5)

 わたしは、書物(本)にまったく縁のない人がいてもいいと思っている。本が側に置いていなくても、あるいは読まなくても、生活していくうえで、困ることはないからだ。学校という場所は、教科書という、つまらない本を読むこと以外は楽しい空間だと思ってきた人も多いだろうし、本の話題より、映画やテレビドラマやファッションの方が盛り上がるに決まっている。それでも、書物(本)となんらかのかたちで繋がっていることは、必ずしも無駄なことではないと、いいたい気がする。わたし自身はどうだったろかと振り返ってみるならば、本格的に活字本を読むようになったのは、中学生からだったが、それでも、まだ漫画本が中心だったように思う。既に何度か書いてきたことだが、わたしが最初に衝撃を受けて、以降、思考の道筋のようなものを決定づけられたのは、中学生時代、貸本屋で借りて読んだ白土三平の『忍者武芸帳 影丸伝』である。白土漫画を通して、やがて、漫画雑誌「ガロ」を知り、つげ義春、つげ忠男、林静一らの作品世界に接していったことになる。けっして大げさにいうわけではないが、わたしにとって、『忍者武芸帳 影丸伝』や『カムイ伝』、『カムイ外伝』の方が、マルクスの『資本論』より、はるかに重要な書物(本)であった。だからこそ、誰もが青春期になんらかの書物(本)に接して、共感を持った経験というものがあるはずだ。それは、例え、教科書に載っている断片でもいい。わたしのように、漫画本でもいいのだ。
 本書は、表記者以外でいえば、鶴見俊輔、髙村薫、大西巨人、古井由吉、種村季弘、高橋たか子、秋山俊、荒川洋治、上野千鶴子、中沢新一、養老孟司といった錚々たる執筆者たちが、青春期に出会った本に関して書いた文章を一冊にまとめたものである。収められた73人の文章群は、執筆者たちのポートレイト(様々な角度から撮っていて、執筆者たちが実にいい表情をしているのが印象的だ)を担当した首藤幹夫によれば、99年9月から04年3月まで、「朝日新聞」読書面に毎週日曜日、掲載されたものだという。「連載の最初(略)から、すでに十二年が経った。(略)朝日新聞の中でも(略)比較的長寿な企画であったし、大御所の作家達が軒並みその文章を披歴していることから、すぐにでも出版されるだろうと、何となく思っていたところがそううまくはいかず、大量のフィルムは、切り抜いた掲載記事とともに私の抽き出しの中で眠り続けてい」(「『いつもそばに本が』撮影記」)たところを、ようやく出版へと至ったと述べている。執筆者を望見すれば、まさしく歳月茫々である。73人中、鬼籍に入られた人は12人になる。本書で綴られている、何人かの青春期の記憶としての書物に視線を射し入れてみれば、記憶の襞の奥深くに潜在する清冽さを持った感性を見てとれる。例えば、吉本隆明は、宮沢賢治、高村光太郎『道程』、太宰治『富嶽百景』を挙げながら、「まだ十代であったわたしはおなじ化学生徒だったから、じぶんも宮沢賢治のようになれるかもしれないと錯覚していた。その夢を破るために、わたしはそのあとの生活を送ってきたような気がしないでもない」と記されている。「夢を破る」といっても、それは、けっして悔恨を意味はしていない。むしろ青春期の思いの清冽さに痛みのようなものを感じ取る現在のわたしを直視しているのだ。
 ソレルスの『公園』を挙げている松浦理英子は、「食べることへの愛着が薄くて、普段食べるご飯などは『餌』だとしか思っていな」し、「ことばを欠いた単なる実感だけの経験を物足りなく思う」から、「本が絶対に必要である」と述べる。「お前は、この家の子ではない。橋の下から拾ってきた子だ」と子供の頃、「悪さをする度に母親にそう言って叱られ」ては、外に出て、「親なんかいなくたっていいやと呟きながら」泣いていたという佐伯一麦は、「そんな頃、出会った本が、浜田広介の童話全集だった」という。佐伯にとっては、「はじめて自分に買ってもらった本」であった。「毎月、小学校の前にある文房具店を兼ねた小さな書店に、一冊ずつ本が入荷されるのを心待ちにしていた」という記述に、誰もが遠い記憶を呼び戻されてくるはずだ。
 中沢新一の文章は、04年の1月から2月に掲載されている。いまから八年前ということになる。あたかも、一年前の3.11から現在までの情況にコミットしていくうえでの、スタンスが語られているようだ。
 「人生には星回りというものがある。私の場合、一九六八年が高校生にあたっていた。そのことは後々まで、自分の人生に何がしかの意味をもつことになった。(略)大学では生物学の研究に開かれているコースを選んだ、純粋科学と人間についての学問のあいだで揺れ動いていた私は、そのあいだをつなぐ生命についての科学に居場所を見つけようとしたわけである。(略)私の中に育っていたアナーキズムの精神が、生命を単純なものに還元することで支配して、情報や商品に変えてしまう学問的知性に対して、猛烈な反発をしていた。そういうときである。私の前にレヴィ=ストロースの仕事が、大きく浮上してきたのだった。(略)このような思想を知ったとき、(略)知的な権力に変貌しようとしていた生物学を捨てたのである。」
 こうして、わたしたちは、人との関係、書物(本)、出来事など、何らかのもの(事)を通したアドレッセンスの記憶というものを胚胎させながら生きてきたことになる。そして、それは、現在と対峙していくための膂力となっていくものであることを、確認できるのだ。

(『図書新聞』12.4.28号)

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2012年4月15日 (日)

3.11以後を見据える時、吉本親鸞論によって開かれる道筋がある。――吉本隆明 著『吉本隆明が語る親鸞』(東京糸井重里事務所刊・12.1.16)

 吉本隆明の『最後の親鸞』(76年刊)が刊行された時の衝撃はいまだに忘れられない。吉本が論ずる親鸞は思想の豊饒さを湛えていたからだ。例えていうならば、「二十一世紀に向かって遠く投げ出した思想の砲丸」と中沢新一が表現したことに、それは尽きるだろう。以後、吉本は多くの親鸞をめぐる講演(二冊の講演集がある)を行っている。本書は83年から94年までの講演の中から五講演(一講演は単行本未収録)を精選している。語りの臨場感を持たせながら、あらたに起し直した文章は見事である。講演の音源を収録したDVD-ROMを聴きながら、読むことを勧めたい。吉本の「声」と「話し方」は実に独特である。四十年以上前に吉本の講演を初めて聴いた時、難解な論稿を発表していた思想家とは思えない朴訥さと体を傾けて畳みかけるように熱く語る姿に、驚くとともに感動したものだった。本書の講演も、変わらない熱い語り口で、その当時の感動が甦ってくる。
 親鸞は、戦乱や飢饉、あるいは大地震が起きた絶望的な時代を生きていた。だからこそ、3.11以後を見据える時、吉本親鸞論によって開かれる道筋があることに気づく。「死のほうから現在を見るという見方をすること」「向こうの方からこちらへ向かってくる視線で自分の現在とこれからのことを照らし出す」と語っていく吉本の言葉に打たれるのは、わたしだけではないはずだ。

(『通販生活』2012年 夏号)

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2012年3月23日 (金)

クリストファー・レイン 著 奥山真司 訳                 『幻想の平和―1940年から現在までのアメリカの大戦略』      (五月書房刊・11.8.31)

 「幻想の平和(The Peace of Illusions)」という表題に、様々なイメージが喚起される。本書の著者の分析に共感しながらいえば、第二次大戦下から今日までアメリカ国家(政府)が採り続けてきた地域外への覇権(支配)戦略は、まさしくここかしこに、幻想の平和を喧伝し続けてきたということになる。わたしは、平和という言葉にいつも胡散臭さのようなものを感じてきた。つまり、平和と戦争はコインの裏表のようなものだとわたしには思われるからだ。平和的世界を構築するというレトリックを要して、地域外国家の政府権力を解体するために侵略戦争を行ってきたのは、世界に冠たる民主国家を自認するアメリカではなかったのかといいたいからだ。本書の著者、クリストファー・レイン(1949~)は国際政治をテーマとするネオクラシカル・リアリズム学派に属するテキサスA&M大学の教授であり、本書が初めての単著であるという。「リベラリズム」と「大議論」を展開してきた、いうなれば保守的立場にある学派と見做せるようなのだが、「マルクス系や修正史観主義者、それにリベラル系などの学者・歴史家たちの理論を加えて、アメリカの帝国主義的な大戦略のメカニズム」(「訳者解説・あとがき」)を解析しているところに、本書を特異なものにしている。原著の刊行は2006年であるが、その後に生起したサブプライムローンによる経済危機を予見しているかのような情況分析と辛辣な批判を帝国アメリカに対して行っている。
 著者のアメリカの覇権戦略批判は、極めて明快だ。アメリカ外交は、他国に対して推し進めた「門戸開放政策による経済拡大策は、アメリカ軍を海外に派遣しても守らなければならないような新たな国益を生み出した」(「イントロダクション」)とする。アメリカが母国イギリスの凋落に代わって世界国家として台頭し、やがてソ連との対峙という、いわゆる冷戦構造が形成される契機を著者は、「ソ連を『脅威』として見るようになったわけではなく、(略)アメリカの政策家たちは単純に『ソ連の弱さ、節度、そして用心深さを表すサインを無視した』のだ」(「第3章 アメリカの大戦略とソ連」)と捉えていく。なるほど、「ソ連」を「北朝鮮」と置き換えれば、そのまま現在の東アジアにおけるアメリカの軍事政策に通底するといっていいだろう。そして、戦後のドイツに対しては、再統一によって巨大化することを危険と見做し、結果、分断政策をとったのは、ソ連ではなくアメリカの方だったとする。この冷戦構造分析は、本書の白眉といっていいだろう。
 ところで、国家というものは、絶えず国家間の軋轢関係を内包するものだろうか。国家がある限り、国家間戦争は生起する必然を有するものなのだろうか。このようなシンプルな問い掛けを発してしまうのは、本書のような国際関係論的視点によるアメリカの覇権戦略に対する批判をほとんど首肯しながら読み進めながらも、最後の「オフショア・バランシング」戦略を提起したところで、著者の本意は一体どこにあるのかと戸惑ってしまったからだ。精緻で見事な覇権戦略批判を展開していながら、東アジア(日本、中国、韓国、北朝鮮)に対して、些か巨視的過ぎるように思わざるをえないのだ。
 「(略)今日ではアメリカが他国の直接的に攻撃されるコストやリスクを背負ったり、彼らの海外の権益を地域的な混乱からわざわざ守るべき理由はどこにもないのだ。西ヨーロッパ、日本。そして韓国などは、自分たちの安全を自分たちだけで担うだけの経済・テクノロジー面での力を持っている。(略)『オフショア・バランシング』というのは、国防面でのすべての責任を同盟国たちに委譲することによって、自らの地政戦略的な優位を活用するものだ。(略)現在のアメリカの大戦略の推進者たちは、『アメリカが安全保障の傘をたたんでしまえば、ユーラシアに安全保障の真空地帯ができてしまい、これが〝再国家化〟を引き起こし、不安定な多極状態の復活につながる』と言って反対するはずだ。ところが皮肉なことに、アメリカの覇権的な大戦略はすでにこの面で失敗しているのだ。その理由は、アメリカが『地域安定装置』として行動しているにもかかわらず、『再国家化』は徐々に始まっているからだ。」(第8章「オフショア・バランシングという戦略」)
 ここでいう「再国家化」の国家とは、軍事的な自立国家を意味している。著者は、オフショア・バランシング戦略の先に日本の核国家化をも見据えているといえなくもない。そもそも、他国から攻撃をされるということの考え方のなかには、国家間戦争は、常に発生しうるものだという妄想の上に立っているといわざるをえないし、「核」が国際間における抑止力となっていると、現在ではいい切れないものがあるはずだ。そのことは当然、米軍の極東配置が、必ずしも「地域安定装置」として働いていないということを意味する。著者は、「アルカイダのようなテロ集団やイスラム原理主義たちの熱狂的な支持者たちを煽ったのはアメリカの『覇権』なのであり、これはアメリカ優越状態と世界的な役割に対する、一種の『ブローバック』(反動)なのだ」(「同前」)と述べているわけだから、国防や安全保障という概念自体が、そもそも幻想の所産でしかないし、軍事力の肥大が強国の存在証明とはならない時代に入ったと見做すべきなのだ。アメリカという大国を保守するために、「覇権」ではなく「自己抑制的な政策を追及しなければならない」と著者は結語していくが、9.11以後を俯瞰してみれば、既に「覇権」や「大国」という言葉は空語化してきていると、わたしならいいたい気がする。

(『図書新聞』12.3.31号)

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2012年3月 9日 (金)

保阪正康 著『農村青年社事件                 ――昭和アナキストの見た幻』(筑摩書房刊・11.12.15)

 「農村青年社事件」と聞いても、おそらく、多くの人にとっては、未知のことに違いない。アナキズム運動史に関心を持ったとしても、「農村青年社事件」に対して深く視線を這わせることは、あまりないように思える。わたし自身が、そうだった。それは、大杉栄の虐殺、そのことへの叛撃として決起されたギロチン社事件を経て、アナキストたちの反抗のムーブメントは退潮期へと入っていったからだ。もちろん、それは、時代が昭和期となってナショナリズムの台頭と戦争の影が勃興し出したことと、無関係ではない。労働者組織による運動にも限界が見えてきた時に、都市部からの決起を企図した無政府共産党と、疲弊しつつある農村部を救済することを希求して結成された農村青年社は、ある意味、わが国におけるアナキズム思想の未成熟さからくる矛盾を象徴していたと、わたしは考えている。例えば、マルクス主義陣営の講座派と労農派の対立と同じ様に、西欧型革命理念を移入したことによる、アジア的な構造との溶接の困難さを払拭しえないまま、行動理念としたことによる破綻といいかえてもいい。わたし自身、権藤成卿の農本主義的な思想の基層にアジア的なアナキズムとでもいえるものを抽出しようとした経験からいえば、バクーニンやクロポトキンの思想と権藤的農本主義を繋げていくことは、戦後的時空の位相を組み入れることによって、どうにかその端緒へと至るといったプロセスを経なければならなかった。本書の著者が、農青社のメンバーは、意識的に天皇制の問題との対峙を回避していたと好意的に解しているが、わたしは、そうは思わない。石川三四郎や岩佐作太郎がそうだったように、西欧的理念を日本型革命理念として移植していくには、対権力という現実的なことではなく、理念として天皇制の問題を迂回(ということは、無意識のうちに組み込まれていくことを意味する)せざるをえなかったと思われる。それは、北一輝が直面したことと、パラレルな関係といえなくもない。
 さて本書は著者が長年、構想を温めていたものを、三十年近い時間を経て、ようやく結実させた渾身の仕事である。農青社の主要メンバーの四人のうち三人への丹念な取材・インタビューは、著者であったからこそ、彼ら彼女らが胸襟を開いて応答したものだといい切れる。「農村青年社事件を最後として、戦前のアナキズム活動は終熄してしまった。(略)無政府共産党事件、農村青年社事件等の人々もその多くは戦後のアナキズム運動とは無縁に終わってい」(秋山清『日本の反逆思想』)ったことを考えてみれば、著者の取材に応じた宮崎晃、八木秋子、事件の資料集編纂に膂力を込めた星野凖二の三人の「農村青年社事件」以後の時間性に対して、不思議な感慨を覚える(もう一人理論的な支柱だった鈴木靖之は、著者が取材を始めた時点で亡くなっている)。
 事件を本書では、第一幕と第二幕というように分断させて、著者は捉えていく。確かに、劇における幕間のようなものが、事件には横断しているからだ。
昭和六(1931)年に農青社は結成される。そして翌年、運動資金獲得のための窃盗行為が発覚して、刑事事件として処理され、そこで「実質的にその活動は停止」したことになる。ここまでが第一幕である。やがて、無政府共産党事件(農青社のメンバーとは何人かが繋がりを持ってはいたが、まったく別の運動体として、昭和九年に設立)を発端として、昭和十一(1936)年、「功名心に逸る検事」によって、「長野県下で検挙が始まり、設立メンバー四人も検挙され、彼らに同調していたとして全国規模で三五〇人が検挙され」、アナキストに対して初めて治安維持法が適用され、三〇余名が起訴されたのが、第二幕としての事件劇ということになる。まさしく、それは、当事者たちも予想できなかった第二幕劇であった。だからこそ、著者の眼は、当然ながら辛辣になる。
 「確かに農村青年社事件は検事団の功名心によってフレームアップされたとはいえ、逆にいえばそのことによって宮崎は戦後になって『治安維持法の網にかかったアナキスト』という勲章を手にいれたのではなかったか。」
 「全体に指摘できるのだが、農村青年社の法廷は思想犯を裁く、あるいは国事犯を裁くという緊張感に欠けているように思える。(略)確かに信州で何らかの行動(それを地理区画運動と称したのだが)を起したいとの願望をもっていた。(略)しかしだからといって彼らにはそのための行動計画があったわけではなかった。」
 これらの指摘に、わたしもほぼ同意したいと思う。フレームアップされたアナキスト弾圧といえば、幸徳秋水らの大逆事件を真っ先に例示できるが、だからといって、その思想性が軽視されていいわけではない。権力側の犯罪捏造(それは、現在においても依然、連綿として続いている)を徹底的に断罪すると同時に、権力側に危機感を抱かせた思想の根拠を再度、分析して再構築していくことも、後代のわたしたちに課せられた仕事だと思う。
 とすれば、近代天皇制生成時の大逆事件と、戦争の時代を予兆させる昭和十年代初期の農村青年社事件には、権力犯罪という共通項はあっても、おおきな差異の位相を見てとれるはずだ。「ごく平凡な、そして生真面目な青年たちのその運動の中に当時の社会環境や生活模様がすべて凝縮されていた」わけだから、著者も述べるように、「昭和史の中でどのように語り継ぐべき」かということが、切実なものになっていくといっていい。

(『図書新聞』12.3.17号)

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2012年2月10日 (金)

うらたじゅん・山田勇男・斎藤種魚他 著『幻 燈 12』           (北冬書房刊・11.11.14)

 一年ぶりに刊行された漫画・劇画作品のアンソロジー集『幻燈』の第12集は、当然のごとく、3.11の大震災によって惹き起こされた福島原発事故を投射している。福島在住の作家・斎藤種魚の新作「重力」と、唯一の文章掲載となった大麦ジョージ、大麦ロコモコの反原発デモによって違法逮捕された後、留置場に拘留された経緯を記した「5.7反原発デモ逮捕・拘留記」が、その象徴的作品だといっていい。
  「重力」は、“扉”から作者の思いを充満させた画像となっている。傾いた家の前で少女が手に〝何か〟を持って佇んでいる。月夜の上空には、ロケット弾に乗った異邦の女性を捉えている。この扉画から喚起されたのは、こういうことになる。原発とは何かを根底的に見定めない限り、事故のことも、反原発のことも、捉え切れずに霧散する可能性がある。事故が起きたから原発が駄目なのではない。原発とは核開発の擬装だったのだ。だから、異邦の女性は、戦後、核保有を先導していった欧米国家の表象ともいえる。核(原発)を保有することは、国家が怪物化していくことである。怪物とは、ひたすら強大な権力を集中しようという「神」のようなものだ。「重力」という作品に接しながら、人間が神になろうとすることを、もう一つの戦争と呼びたいと思った。斎藤は作品の最後で、「三人の神は/子どもらを/削除して/大人をすべて/神にした」と記す。
  「5.7反原発デモ逮捕・拘留記」は、詳細に述べられているだけに、警察の取り調べの空疎な実態が明らかにされていく。公務執行妨害で逮捕された二人だが、そもそもそのような理由で逮捕したところで、起訴にはできないことは、警察の方もわかっているのだ。だから、9.11デモの時の大量逮捕といい、一般市民が反原発デモに参加すれば逮捕される危険性があるという見せしめにするつもりで、横暴な行為に出るのだ。これでは、逮捕拘留されるのは、憤りに耐えないということになる。なお、二人の手記のダイジェスト版が、『アナキズム 14号』にも掲載されている。
 安部慎一・原作/西野空男・漫画「雪中記」は、『月刊架空』誌で試みられてきた共作の最新作である。現在、あと2号を予定しながら休刊状態にあるため、『幻燈』での発表となったものだ。安倍慎一の世界を西野空男の絵によって再構築されていく醍醐味を、たぶん、作り手以上に、読み手の方が感受することになるといいたい気がする。ところで、西野空男の本格的な作品集『幼年クラブ』(A5判224P・本体1400円)とともに、安部と西野のコラボレーション作品集『気分』(A5判176P・本体1200円)がワイズ出版から同時発売されたことを付記しておきたい。
 藤宮史の木版漫画は、「或る押し入れ頭男の話・公園」と「わたしのいない世界・温水池」の二作品を掲載。特に、頭男シリーズは、独特のモノローグとともに、他の追随を許さない屹立した位相を表出している。
 おんちみどり「階段町の人々・風」、山田勇男「私ノ青ヒ塔ノ中ニ誰ガイルノ」、木下竜一「胡桃だより」、甲野酉「仕掛りの家」、海老原健悟「夏至」といった『幻燈』常連作家たちの作品について個別に触れたいが、紙数の都合で、角南誠の作品「雨に濡れた慕情」に対して少しだけ言葉を添えたい。従来の作風から幾らか変換を加え、抽象度を深化させた作品となっている。たぶん、これは角南自身、無意識のうちに3.11を作品内部に包含させたことからくる転換だといえなくもない。このことが、今後の作品の新たな展開の契機となっていくことを期待したいと思う。初登場の川勝徳重の「福助小噺」という作品は、福助人形をめぐって日常の風景をさりげなく活写していく。やや丸みを帯びた描線とともに、どこか穏やかな気持ちとなって、それが、どこかで3.11への鎮魂になってくるという不思議な感慨を抑えることができない。意外にも菅野修の作品が掲載されていないが、うらたじゅんは健在だ。
 巻頭に配置された最新作「おつかい」は、病に臥した実直な父の像を前半部に置きながら、少女と父、少女と少年の峡間を交差させながら、少女が慰藉されていく様を、少女・少年期における異性間の通交として鮮やかに描いてみせる。モチーフがともすれば、自己模倣的なものになるところを、最後のカットによって、うらたじゅんでなければ描出できない秀逸な作品として提示している。長引く父の病に落ち込んでいる少女に対して、別れ際に「げんきだせよ」と懸命に、励ます言葉を発しながら、もし振り向いてくれなければどうしようといった戸惑いの表情を浮かべる少年のカットから、最後の、少女の「うん」といって力強く振り向いた表情が、この作品のすべてを包み込んでいくかのようだ。これはまさしく、柳田國男の〈妹の力〉ではないか、とわたしは思い、素直に感嘆したといっていい。

(『図書新聞』12.2.14号)

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2012年2月 4日 (土)

渡辺京二 著『未踏の野を過ぎて』(弦書房刊・11.11.25)

 このところ、渡辺京二は八十歳を超えながらも、『黒船前夜』(10年刊、大佛次郎賞受賞)以降、『渡辺京二コレクション』(全二巻)、『渡辺京二傑作選』(全三巻)をはさみながら、共著も含め三冊の新著というように著作の刊行が続いている。本書はそのなかの一著であるが、「主として世相を論じた文章を集めた」(「あとがきに替えて」)ものとなっている。3.11以後の世相に斬り込んだ書下ろし論稿を巻頭に配置し、79年から11年までに発表された文章で構成されている。およそ、渡辺京二にあって精力的な著作活動などという形容は不似合いなのだが、七十年代、わたしなども含め、熱烈な共感を表明した時期と照応させてみる時、なにがしかの感慨を抑えられずにはいられない。わたしたちもまた、それなりに年齢を重ね、世情・世相もそれなりに変容してきたことを考えてみれば、情況と相渉ることの困難さは、身に沁みてわかるつもりだ。しかし、渡辺の視線は、厳しく、一貫して揺るぎないものとしてある。
 「人間は本来、肩書きのない一個の生きものなのである。それぞれに肩書きがついて、それによって自分が何者かであるかに思いこむのは、人間社会という仕組みに組みこまざるをえないことからくる仮象であり、錯覚なのだ。老後とはその錯覚からさめるときである。(略)威張る必要もない。他人と競う必要もない。ただ自分が自分でありさえすればよく、その妨げとなるものは振り捨てればよい。自分が自分であるとは、何が自分にとってほんとうによろこびなのか、見極めがつくということだ。かくて、生きる方針はシンプルになる。格好をつける要はなく、ただ自分を正直にさらせばよいのだから。」(「老いとは自分になれるということだ」)
 「人間社会という仕組みに組みこまざるをえない」とは、かつて、「人間の共同社会があい争う利害の体系であり、その体系は契約による権利と義務により実体化され、その利害対立を判決するのは一種のゲームのルールとしての成文法であ」(「近代天皇制の神話」―『小さきものの死』所収)ったと述べていたことに通底する。「肩書きのない一個の生きもの」である限り、当然のことながら、「威張る必要もない。他人と競う必要もない。ただ自分が自分でありさえすれば」いいということになる。ともすれば、「肩書き」によって自分を表明することに比べれば、ただ「自分が自分である」ことを表明することは、大きな懸隔があり、至難に満ちているように思い勝ちかもしれない。だが、「肩書き」もまた、虚飾であり、「仮象」である以上、結局は、「自分が自分である」ことを露出していくことでしか、わたしたちの「生」は、持続せざるをえないのは自明なことなのだ。勿論、このことは、若年世代であっても、同じことだとわたしなら、付加しておきたい。
 「考えあって、私は天下国家について論じることを避けた。かわりに、街路樹や、いまの人間の表情やもの言いについて書いた。天下国家に関することよりも、その方がもっと本質的であり大事だと思うからである。このことをもって私が韜晦したり、しんどい論題を避けたりしたと思ったら大間違いだ。旧態依然たる思考枠で、左翼くずれ的情勢論を垂れ流している連中こそ犯罪的なのだ。木々が切り倒され、人びとの表情や言葉が劣性化していることは、まさにわれわれが対峙すべき時代の本質なのである。」(「未踏の野を過ぎて」)
 たぶん、渡辺は、わたしたちのような、六十年代末に生起した対抗的な運動の担い手たちに独特の視線を射し入れているはずだ。「左翼くずれ」という叙述にそのことが表れているし、次のような批判的言辞にもいえる。
 「全共闘という変種も含めて、戦後左翼の言説が八〇年代に入って失効し、影をひそめるにいたった経緯はみなさまよくご存知の通りだ。(略)戦後左翼とは、敗戦以前の日本の単純な全否定、自由・平等、民主という近代的強迫観念のやみくもな神聖化、国家・支配・権力に対する反感という点で、戦後市民主義のラジカルな一形態に過ぎない。」(「同前」)
 辛口であることは、ある種の心地よさを誘うものだ。だが、全共闘運動が左翼運動であったかというと、厳密な意味でいえば、そうではないといいたい気がする。つまり、「敗戦以前の日本の単純な全否定」をする戦後左翼とは、一線を画していたと思う。むしろ、戦後過程そのものが、戦前を隠蔽する欺瞞に満ちたものだったという捉え方をしていたと声高にいっておきたい。このことだけは、渡辺に誤解して欲しくないところだ。ましてや、「街路樹や、いまの人間の表情やもの言い」の方が、「天下国家に関することより」は、はるかに「本質的であり大事だと思う」のは、仮に「全共闘くずれ」や「左翼くずれ」であったとしても、同じ思いを抱いているはずだ。わたしたちも、六十代を超え、昔風にいえば間違いなく老後の段階へと入っているのだから。

(『図書新聞』12.2.11号)

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2012年1月27日 (金)

渡辺京二、津田塾大学三砂ちづるゼミ 著                 『女子学生、渡辺京二に会いに行く』(亜紀書房刊・10.9.29)

 徹底討論とか鼎談とはいわずに、「会いに行く」という表記は、いくらか戸惑いを抱かせる。しかも、「会いに行く」相手が渡辺京二となれば、なおさらその思いが強くなってくるといっていい。東京の大学に在学している学生たちが、熊本に在住する渡辺京二となんらかの応答をしに、出向いていくのだから、確かに「会いに行く」でもいいとは思うのだが、なにか釈然としないのだ。しかし、読み進めていくうちに、戸惑いが、徐々に氷解していった。人と人は会うことによって醸成されるものがある。本や映画、絵画といったものから、大いに啓発されるとしても、それと同じように、あるいは、それ以上に、人と人が出会うことよって喚起されるものは大切なことである。だからといって二十代の学生が、八十歳の経験豊かな人と応答するから、いいという表層的なことをいいたいのではない。『神風連とその時代』や『北一輝』、『日本コミューン主義の系譜』といった著書を持つ渡辺京二だからこそ、その出会いというべきものが、至福の時となるはずだとわたしには思われるからだ(残念ながら、彼女たちの入り口は、『逝きし世の面影』なのだが)。
 渡辺はこの場所では、極めて、抑制的に語っていく。それでも、要所では言葉やさしくも直截に述べていくところが、本書のいわば読ませどころとなっている。
 開巻、いきなり「子育て」についてのやりとりだ。「子育ては福祉の対象?」というテーマで卒論を書き上げた学生が、「子どもが好きで、かわいいなと思うんですが、でも、実際の子育ては大変だと言われていて、なんでそんなに大変なのかというところに疑問を持った」と述べていくのに対して、渡辺は「そんなの結婚してみたらいっぺんでわかるよ」と、見方によっては、セクハラ的な応答をする。もちろん、「親と子の関係、日本人の子育てのあり方」といった問題へと敷衍させていくのだが、他の参加者から、「結婚して子どもを産んだら、そこでキャリアが止まってしまうのではないか」と心配する女性もいるのだという発言があり、渡辺は、「女性も子育てをしてせっかくのキャリアを途中でやめたくないと言う。やめていいじゃないですか。でも僕は役所に入ったら、絶対出世なんかしたくないですよ。出世したって何がいいのか」と述べていく。わたしもまた、この渡辺のキャリアや出世なんて関係ないよという見方に同意する一人ではあるが、しかし、子どもを産み育てるということが、人間にとって自明のことであるのかどうかという問いは、ここでは、保留にされているという気がする。いまは、男性の側にも育児休暇を認める会社もあると聞くが、まだまだ現状では、圧倒的に女性側に子育ての負荷(そういういい方を敢えてしてみたい)がある以上、少子化対策が福祉としての対象となっていることと相俟って、ことは、そう単純ではないようだ。
 続けて、「学校は権力装置か」、「『発達障害』という名前をつけることによって忌避される問題」、「帰国子女における帰属意識」、「国際協力に対する考え方」、「社会福祉、看護系への就職における障壁」、などがテーマとして応答されていく。津田塾大学多文化国際協力コース・三砂ちづるゼミの生徒と卒業生たちが二日間にわたって、渡辺京二と過ごした時間を纏めたものが、本書の成り立ちである。だが、最後に配置された、渡辺の長い発言のなかにある次の様な箇所が、彼女たち、あるいは、現在の若い人たちが置かれている情況的な難渋さを切開していく手立てのための視点を語っていて印象的だった。
 「人間というものは、何も社会から必要とされるとか、社会のために役立つとか、そのために生きてるんではない。せっかく生んでもらった自分のこの生命というものを、生き延びさせていくということが、それ自体で、価値があることなんですね。だからそれを一番に考えればよろしいと思います。(略)みんな一人一人生きたい、生きたいと思っている存在である。だとすると、お互いのそれぞれの思いをどう生かすかが問題ですね。(略)他者との関係をどうしていったらいいのかということは、思想の問題であると同時に、実践の問題である。(略)ごく一番最初にやるのは、自分は生きてよいのだということ。自分があってこそ他者が出てくるということ。自分がなくて他者、社会のためにとか、人のために役立つとか、そんなことはないの。まず自分をよく生かしなさい。」
 三砂ちづるには申し訳ないが、わたしには、どうしても「多文化国際協力」なるテーマが分からないというか、あまり身近には思えないのだ。いま、大学の学科を見ていけば、「国際」と冠するものが多いような気がする。そうしないと学生が集まらないとも聞く。既に、グローバリズムというものが、虚妄なものであったことは明白である。それでも、新たな国際関係の構築をと指向していくことの是非は、初めからわたしのなかにはない。渡辺が力説しているように、なによりも、身近な関係性の方が、はるかに切実なことであると、わたしもまた思い続けている一人だからだ。

(『図書新聞』12.2.4号)

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2012年1月13日 (金)

高橋順一 著『吉本隆明と共同幻想』               (社会評論社刊・11.9.15)

 吉本隆明の全営為のなかから、幾つかの代表的な著書や主要概念を採り出して、それを特化しながら語ることが、果たして、吉本思想における根源的場所を十全に捉えることになるかといえば、否というべきであろう。たとえ体系的な仕事と思われるものでも、そこにはそれ以前の多様な営為が重層的に反映されているからだ。にもかかわらず、敢えて主要著書として三冊だけ挙げよと問われれば、たぶん、多くの人は、『言語にとって美とはなにか』(65年刊)、『共同幻想論』(68年刊)、『心的現象論』(『序説』71年刊、『本論』07年刊)となるはずだ。わたしなら、なんの迷いもなく『共同幻想論』、『最後の親鸞』(81年刊)を挙げ、そして、『ハイ・イメージ論』(89~94年刊)を並べたい。むろん、これは吉本の全営為と遭遇してきた過程のなかで、わたしにとって衝撃度の大きい順といった意味でしかない。
 著者は、本書に先行して『吉本隆明と親鸞』を刊行しているから、わたしの思いと交錯しているといえそうだが、もとより、「思想家吉本の真の意味での主著『最後の親鸞』」と述べているから、わたしが『共同幻想論』に対して強く傾斜してきたこととは、幾らか距離があるかもしれない。表紙や背表紙の上端に小さな文字で、「Auslegung Yoshimoto Takaakis Ⅱ」とある(ちなみに、『吉本隆明と親鸞』にはⅠと記されている)。最初の文字のAuslegungは、ドイツ語で「解釈」という意味のようだが、読解とか解読といったことを著者は、冠したかったに違いない。そういう意味でいえば、本書の構成は、「『吉本思想の公共的理解および応用』のための土台づくりを目ざしている」とする著者の考えが、濃密に反映されているといっていい。
 「『共同幻想論』の世界」と題した「Ⅳ」章へ至るまでに、敗戦期から六〇年反安保闘争時までの吉本の思想的軌跡を「マチウ書試論」、「転向論」、『カール・マルクス』、「自立の思想的拠点」などを通しながら、微細に解析されていく。例えば、「マチウ書試論」をめぐって「『関係の絶対性』は、現実に存在する関係秩序を肯定することではない。まして現実の相対性に安住することでもない。問題なのは、『関係の絶対性』という視点を導入したときはじめて正義が、より普遍的にいえば観念や理念が、現実に対して相対性を負わざるをえないことを本質的な形で自覚し認識できるということである。それは、『観念の絶対性』と『関係の絶対性』の関係が、たんなる相対性ではなく、『逆立』の関係として捉えられることを意味する」と述べながら、「吉本隆明は思想家として」、「マチウ書試論」から「自分自身の道を開始」していき、「『関係の絶対性』に真の意味で耐えることの出来る反逆思想」を模索していったのだとしている。
 『共同幻想論』のモチーフの萌芽を「マチウ書試論」における「関係の絶対性」という概念に求めていくことは、むろんわたしにも異論はない。ただし、次のような言辞へと導かれる時、そこには、すこしだけ、わたしとの乖離が生じていくように思える。
 「『関係の絶対性』の内部における幻想性と非幻想性の『逆立』の問題がもっとも集中的に現れるのが、国家の幻想性と市民社会の非幻想性の関係である。吉本の幻想論体系においてこの問題に迫ろうとしたのが『共同幻想論』であった。」
 吉本は、確か、「自立の思想的拠点」という論稿のなかで、「政治的国家」と「社会的国家」という繰り方を提示していたはずだ。そのことから類推しても、「国家の幻想性」と「市民社会の非幻想性」という対称化は、共同性の問題を突き詰めていけば、ひとつの円環へと包括されていくように思えるのだが、どうだろうか。
 本書のなかで、わたしが、最も喚起されたのは、「生(誕)」から、「死」へと至る時空間に共同幻想を措定して論及していく箇所だ。
 「(略)諸個人は、共同幻想のうちから産み出されて(生誕)、共同幻想へと還ってゆく(死)という循環の過程という形で、個体幻想を共同幻想の内部に位置づけるのである。そのことをもっともよく示しているのが死の共同幻想形態としての『他界』に他ならない。生から死へと至る個体幻想内部の時間的な過程は、『他界』という形で空間的に構造化され表象される共同幻想から来訪と帰還の過程として把握される。そしてここにおいて共同幻想と個体幻想の同調・浸蝕の採集形態が現れる。」
 そして、この「生」から「死」へと至る個体幻想と共同の幻想形態の時空間の狭間へ「対幻想」概念が投企されていくことにこそ、『共同幻想論』の最大のモチーフがあるとわたしなら考える。著者・高橋順一は次のように苛烈な言辞で「『共同幻想論』の世界」を結んでいく。
 「『共同幻想論』はなによりも国家の革命の書として読まれなければならない。私はこれまで共同幻想についてその内部に潜在する非連続的継ぎ目・転回点を探り当てることが重要だと繰り返し述べてきた。その継ぎ目こそが、共同幻想を解体・無化する国家の革命の戦略的なポイントになるからである。」
 もう何年も前のことになるが、竹田青嗣は、『共同幻想論』で展開した国家(権力)論は、現在的には有効性を逸してきていると述べていたことがある。刊行当時、リアルタイムで衝撃を受けた側から、竹田のような発言が、しばしば見られるようになってきたのは確かだ。しかし、それは、自らの立ち位置の揺らぎの証左でしかない。
 刊行されて四十三年、『共同幻想論』は、自分自身も含めて、まだまだ深奥において理解の地平を獲得したとはいい切れない〈未知〉が、依然、在り続けていると断言していい。

(『図書新聞』12.1.21号)


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2012年1月 1日 (日)

イマヌエル・カント 原著、早間央 訳・監修、北澤睦世 構成『超訳 カント――時代を照らすカントの言葉』(マーブルトロン発行、三交社発売・11.11.25)

 わたしが、カントという存在を最初に意識したのは、埴谷雄高によってだった。埴谷が戦前、獄中でカントの『純粋理性批判』に出会って衝撃を受けたことを知ったからである。それでも、カントを積極的に読んでみようという思いは、残念ながら湧きあがらなかった。カントにそれなりに向き合おうと考えたのは、フーコーを通してと『永遠平和のために』という著作に接してからということになる。フーコーは、最大限、カントを評価しているのが、『言葉と物』での、次のような言説によって理解できるといっていい。
 「〈人間学〉は、カントからわれわれまで、哲学的思考を律し導いてきた基本的配置をおそらく構成する。その配置は、われわれ現代人の歴史の一部となるがゆえに本質的なものであろう。」「カントの批判哲学が哲学にたいする任務として指定した有限性の思考、こうしたすべてのものは、なおわれわれの反省の直接的空間を形成している。われわれが思考するのはこの場所でなのだ。」 
 実は、この『言葉と物』がそうであるように、和訳される思想・哲学書の多くは、読みづらさを払拭できないのを宿運としているかのようだ。詩文などは、訳者によって随分イメージが違ってくる場合があることなど、こと翻訳書を一方的に享受する側は、訳語によって、正確に著者の真意を理解することを放棄しなければならないことになる。とはいえ、ただ訳と表記されている場合や反訳、そして超訳とそれぞれにどのような差異を発生させているのかは、原書にあたって、自ら翻訳を手がけて見ない限り、正確なところは分からないはずだ。ただし、未知の著者や著作の入り口としてなら、どのかたちで翻訳されたものでも、格好のテクストだといえなくもない。
 本書の訳者は、「ただただ難しい、長文で読みにくいと敬遠されているカントの言葉たちを、まず素直に多くの皆さまに伝えることが仕事だとして、和訳作業を試みた」と述べている。箴言集のようなものが、ある意味、深い理解を与えることを考えてみれば、著作のエッセンスを集めた本書のようなかたちも、カントの世界を浮き立たせるひとつの方法だといえると思う。
 『啓蒙とは何か』、『人倫の形而上学の基礎づけ』、『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『世界市民という視点からみた普遍史の理念』、『人間学』、『判断力批判』、『永遠平和のために』、『人類の歴史の憶測的な起源』等々、カントの著作をほぼ俯瞰できる視線を射し入れている。全12章(それぞれに「啓蒙」や、「感性と悟性」、「考えること」、「人間とは」といった章題があり、各章ごとに訳者の的確な解説が付されている)に分け、標題を冠した155項目の言葉群が配置されている。例えば、61項目では、「考えごとをしながら食べるな」という標題のもとに、「たったひとりの食事はよくない。/物思いにふけりながら孤独な食事をしていると、/しだいに快活さを失う」と『人間学』から訳出されている。当たり前の「食事」のことが哲学的言辞となることに戸惑いを持つかもしれない。だが、「ひとりの食事はよくない」ということをさらに、敷衍させていけばフーコーが、『人間学』の「食卓を囲む集い」という概念に着目して、「誰も自分が特権的だとか孤独だとか感じることはなく、話をする者もしない者もみな語られる言葉の主権に共通にあずかる」(『カントの人間学』)ことのできる、国家でも家族でもない場所として措定していたことに通底し、それは、共同的関係性の初源のかたちへと遡及させて、わたしたちを喚起させてくれる。だから、57項目の引例のように「哲学者とは、人生の中に題材をみつける/知恵の探求者」であるならば、「食事」は、最も人間的であり、人生そのものということになる。
 このようなかたちで、カント哲学の基調を本書から汲み取とることができるのは、僥倖なことである。
 もう少し、本書の中に分け入ってみるならば、5項目の「たとえ革命で独裁者は倒せても、/市民ひとりひとりの考え方まで変えることはできない」ということを反照させて、「市民ひとりひとりの考え方を切実に汲み入れない限り、革命は達成されたことにはならない」と、わたしなら解読してみたい。これは、読み手を直截に喚起させていることになる。以下、幾つか例示してみる。
 「責任と義務を果そうとするなら、/私情や欲望から離れ、/他人の立場で考えることだ。」(27「責任と義務を果す方法」)、「常識にとらわれた人の話は、一般論や聞きかじりの知識でいっぱいだ。/話はいつのまにか、単なる幻想の領域にはまりこむ。」(49「知の暴走」)、「自然は、人の目的のためにあるのではない。/人は、自然の目的のためにあるのだ。」(134「自然の尊厳」)、「生まれつきの不幸より、/人の尊厳を踏みにじる不正を責めよ。」(148「不幸を憎まず、不正を責めよ」)
 訳者は、カントを「とても愛情深く、人に備わった『正しい心』を信頼し、人が進むべき正しい『人の道』を説いた」とし、カントの考える「義務」とは「社会の規約によるものではなく、ひとりひとりの人間が自らの意志で生み出していく永遠普遍のものと見なしていた」と捉えていく。このようなカントの思考世界が、二百年以上前の言葉群にも関わらず、いまだにアクチュアルに満ちていることに、わたしたちは驚嘆すべきである。

(『図書新聞』12.1.1号)

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2011年12月20日 (火)

浮遊する方位――つげ義春漫画と〈酒〉的場所

 つげ義春の漫画に「西瓜酒」という作品がある。作品歴でいえば、初めて『ガロ』誌(つげ義春は、周知のように、それまでは貸本漫画を中心に仕事をしていた。『ガロ』に作品を掲載するようになってからも、しばらくは貸本漫画も並行して描いている)に発表したのが、「噂の武士」という作品で、六五年八月号であった。続いて同年十月号に掲載されたのが、「西瓜酒」であった。さらに、十二月号には「運命」が描かれているのだが、三作品とも、“時代物”である。つげ義春という作家の名を衝撃的に知らしめた記念碑的作品「沼」は、翌年の二月号誌上に掲載されたものだ(一月号には、やはり“時代物”で「不思議な絵」という作品を、三月号では「チーコ」、四月号に「初茸がり」と、この頃は、毎月のように作品を発表しているが、以後、一年近く新作は掲載されることはなかった)。
 「西瓜酒」は、浪人とおぼしき主人公の人物が、友人の住まいを訪れるところから始まる。「ケイキは/どうだ」という問い掛けに、「失業者に/ケイキも/ヘチマも/あるか」と応答するところは、時代物であるにもかかわらず、妙にリアルな描写となっている。持参した土産の西瓜を差し出すと、「おれんとこへ/来るときはな/一升ぶらさげ/て来るのが/礼儀って/もんだ」と友人はいう。それに対して、なぜ、西瓜を持ってきたのかを主人公の浪人は語りだす。夢の中で大儲けしてお金が手に入った余裕で、同じように友人の所に西瓜を持参したが、留守だったため、西瓜に儲けた小判を一枚刺して帰ったところで、夢から醒めたという。その不思議な夢を天啓として、西瓜酒を思いつき、これで大儲けができるはずだと考え、友人の下へと訪ねて来たという。そして、実際に持参した西瓜には、穴をくりぬいて、中に酒を仕込んであったのだ。これを作って売れば、大儲けできると二人は、大いに活気づき、持参した西瓜酒で、なぜか、“チャンチキおけさ”を歌いながら酔いしれていくという物語だ。ただし、最終頁の下段に、「その後の二人が/大金持ちになっ/たという話はき/かない……/なぜなら西瓜は/夏にしかとれな/いからだ」という作者のモノローグが付されている。
 後に、「西瓜酒」という作品を振りかえって、つげ義春は、「貧乏人のちょっとしたやり切れなさみたいな、やけっぱちな感じを出したかった」と述べながら、「ただふたりが騒いでいただけという作品、その方がなんか良かったと思うんですよ。あれだと、モノローグが入ったためにオチをつけたようなもんで、つまらないんですよね。あのオチがなかったら不思議なマンガになるはずだったんですけれども」(つげ義春・権藤晋共著『つげ義春漫画術・下』)と語っている。
 わたしは、「西瓜酒」という作品を前にして、かつて不思議な感慨を抱いたことを覚えている。それは、西瓜に穴を開けて、そこに酒を仕込んで、それを飲むということの、不可解さ、意外さを感じたからだ。何々酒とよく称されるものは確かにある。だが、理にかなった飲み方としてある程度、納得できるものが、ほとんどである。では、西瓜酒はどうだろうか。作中、「西瓜の/甘味と/香りが/まじって/るんだ」、「こ こんなに/うまい酒/はじめてだ」、「今度は/甘瓜を/クリ抜いて/作ってみよ/うと思う/んだ」と二人に語らせている。わたしは、『ガロ』を購読し始めたのは、高校生の時(六五年以降)であるが、「沼」には、強い印象が残っていても、「西瓜酒」という作品のことは、あまり記憶に残っていない。たぶん六八年に出た「つげ義春特集」の増刊号で、初めて接したことになったのだと思う。まだ、十八歳だったわたしが、〝酒〟のなんたるかを承知していたわけではないから、西瓜と酒のマッチングにただ不思議な感慨を抱いたとしても無理はない。もとより、漫画作品に限らず、生み出される作品が、リアルなことを基調とすべきだなどといいたいわけではないが、西瓜と酒を連結させることの意味を考えてみるならば、そこには、実体性から離れた、感覚的なイメージがより濃厚にあるのはいうまでもない。そうであれば、西瓜酒というある種荒唐無稽なイメージには、確かに、「やり切れなさ」と「やけっぱちな感じ」が、メタファーとして滲み出ていると、捉えることができるかもしれない。
 わたしが、「酒」という場所から、つげ義春漫画を遠望する時、真先に思い浮かべる作品は、「チーコ」と「もっきり屋の少女」(『ガロ』六八年八月号)である。
 「チーコ」は、漫画家の主人公と同居女性との関係性の襞を、飼っていた文鳥(チーコと名付けられている)の死を通して描出した作品だ。作中、同居女性が、酔って帰宅する場面は、二人の関係性の抜き差しならない暗渠を示して、深い印象を与えている。主人公の男が駅まで迎えに行くのだが、二時間以上待って、ついには終電の時間まで、彼女は帰って来なかった。心配しながら帰宅してみると、倒れたままの彼女がいる。男は、すかさず、女を問い詰めていく。
 「酔って/るのか」「まっ赤/じゃ/ないか」、「胸がドキ/ドキして/苦しい」「顔が/はれてる/みたいよ」、「なぜ/飲めも/しない/酒なんか」、「しかたない/わよお客/さんの/つき合いだ/もの」、「いつもは/絶対/飲まな/いくせに」、「今日は特別だっ/たのよはじめて/私を指名して/くれたお客/さんだもの」、「もの/好きな客も/いるものだ」、「その人テンデ/カッコいいんで/やんの/あんたと同い/年で車な/んか乗り/まわし/ちゃってさ…」、「それで/いままで/つき合ってたのか」、(略)「新宿へ出て/そこで飲まさ/れてそれから/少しドライブ/したのよ」、「どこ/まで」、「よく/わからない/道が暗かっ/たので」、(略)「へん/あやしい/もんだ」、「へんな/いいかた/しないで/ちょうだい」「そんなに私の/ことが気に/なるの/なら早く/お店を/やめさせ/てよ」「ほんの/一時しの/ぎと/いった/くせに」「アーッ/くやしい!」
 こうした遣り取りの後、女は布団に潜り、男は一人で食事をする。酒の勢いというものがあるに違いない。あるいは、酔ってつい本音が出るということもあるはずだ。しかし、二人のような齟齬は、嫉妬心や猜疑心を孕みながらも、対的な関係性においては、しばしば訪れるものだといっていい。齟齬を齟齬として時間性の只中に置きながら、関係は持続することもあれば、断絶することもある。ならば、酔うということは、何かを喚起してしまうことになるのかもしれない。さらにいえば、酔うということ、つまりどこかへと浮遊していく、そのことが、関係性を逸脱してしまうことの必然を内包してしまうのだといい換えてもいい。「チーコ」における二人の関係性が、ある種のシリアスさというものを潜在させているのは、酒を介在させることで、男女のエロス性をひとつのメタファーとして表出させているからだと、わたしには思われる。「いままで/つき合ってたのか」と問い詰めて、「あやしい/もんだ」という疑念を相手に突きつける。酔って帰ってきただけで、男女のエロス性を過剰に妄想して、疑心暗鬼となる男側の心性は、一方的なものであり、それは、男性自身の心的弱さの裏返しでもある。
 現在のところつげ義春作品で最も新しい「別離」(『COMICばく』八七年六月号、九月号)では、「チーコ」におけるモチーフをさらに発展させ、主人公の男の像を、徹底して内閉化へと向かわせている。家賃を滞納したため、アパートを出ることになり、二年間、「生活を共にした国子と」、別居するところから、物語は始まる。国子は、「ある会社の寮の/賄婦として/住み込むことに」なるわけだが、やがて、国子が他の男と関係したことを知り、衝撃を受け、男は自暴自棄になり自殺しようとする。睡眠薬と酒を併用すると効果があると知り、友人の馴染みの店で、コップ酒を飲ませてもらう。下宿に帰りプロバリンを八十錠ほど飲み、昏睡状態に陥る。心配した友人が、早めに発見したため、命に別状はなかったが、孤絶感は癒されることはなかった。この作品では、酒が放つ浮遊性を存在の断絶のために使われたことになる。
 「西瓜酒」のやり切れなさを漂わせる諧謔(ユーモア)、「チーコ」や「別離」のシリアスさといったものが、つげ義春漫画における〈酒〉的場所の象徴的な表象であるとしても、多くの作品で描出される〈酒〉に纏わる場面は、穏やかなイメージを喚起するものとなっている。
 「長八の宿」(『ガロ』六八年一月号)の旅館で飲む酒、「ほんやら洞のべんさん」(『同』六八年六月号)では、囲炉裏を前にして静かに酒を飲む“べんさん”、「庶民御宿」(『漫画サンデー』七五年四月十九日号)の何人かで飲むウイスキーといったことが、直ぐに想起される。また、「会津の釣り宿」(『カスタム・コミック』八〇年五月号)は、持ち込んだウイスキーを旅館の主人に飲まれてしまうというエピソードが、面白い。これらの作品は、“旅物”と呼ばれる系列の作品群であるが、空間的な拡がりによって、ある意味〈酒〉をめぐる挿話は、穏和な位相を有することになる。
 もうひとつ、つげ義春漫画において、構図的配置の〈酒〉というものがある。いずれも、作品中、極めて重要な場面として、それはあるといっていい。
 「ねじ式」(『ガロ』六八年六月臨時増刊号)では、少年が産婦人科の女医を探すため、彷徨いながら、「先生!」「シリツ/をして/下さい」というカットの次に、軍艦が発砲するという外の風景が見える部屋で、着物姿の女医は、テーブルの上に銚子と杯を起き、「ここは/男のくる所では/ありません/私は/婦人科医/ですもの」という場面がある。ここでは背景の軍艦とともに、前方にある銚子と杯の配置が、女医の存在性を際立たせていると解することができる。しかも、銚子と杯は、絵画における静物的なものとして存在化されているのだ。
 「窓の手」(『カスタム・コミック』八〇年三月号)は、主人公が上着のポケットに両手を入れながら、窓から燈台が見えるカウンターのような所に佇み、ビールかウイスキーの瓶とグラスが、「ねじ式」と同じように静物画的な置かれかたをしている。「窓の手」という作品が持つ、超現実的な基調を、このカットの中に、集約して示されているといえるはずだ。
 「蒸発」(『COMICばく』八六年十二月号)は、元越後長岡藩士ともいわれる流浪の俳人・井上井月の半生をモチーフとしている。伊那谷に流れ着いた井月が、もてなしを受けて、銚子を左手に持ち、右手の人差し指で杯を立てて、「千両/千両」という場面が、これもまた、構図的配置の〈酒〉といっていい。次のカットが、凄い。銚子を倒して酔いつぶれている井月を捉え、「だが/無類の/酒好きで/強酒では/なかったが/すぐ泥酔/し」「下痢/寝小便を/もらすことも/あった」というモノローグが付される。つげ義春が描出する井月と酒のシークエンスは、明も暗も超脱する虚無的な位相を湛えていると、わたしには思われてならない。一見、「千両/千両」と諧謔的に発する振舞いは、生と死の境界を無化する方位へと自らの感性を引き寄せていることを意味している。そして、この井月の諧謔的振舞いの描出は、辞世の句といわれている「何処やらに鶴の声きくかすみかな」の一句を見事に描出される後半部へと繋がっていくことになるのだ。
 「もっきり屋の少女」という作品の少女・コバヤシチヨジは、「沼」から始まり、「紅い花」へと至る、一連の少女像と連結している。そのことが、これまでこの作品に、多くの読者が魅了され続けてきた事由のひとつでもある。“もっきり屋”とは、一杯飲み屋といった意味あいがあるわけだが、この飲み屋をチヨジという少女が、一人で切り盛りしている健気な力強さのようなものによって、この作品を際立たせている。そして、不思議な話し方、あるいは方言が、つげ義春という作家の綺譚力によって、魅惑溢れる世界となって現出しているのだ。
「私は小さい頃に生国を離れて、耳に珍らしい他郷の言葉の中で育ったのみならず、学校や旅やまた都府の社交において、さまざまの人の物言いを比較するような機会を、誰よりも多くもっていた。単なる人生の切れ切れの知識として、これが何かの役に立つということに気づかぬ前から、方言はすでに私の一つの興味であった。」(柳田國男『方言覚書』)
 柳田の時代の「方言」は、標準語教育との確執の狭間にあった。しかし、方言とは、「さまざまの人の物言い」と捉えてみるならば、話し言葉を標準化・平準化することの意義は、「多様性」を否定していくことに他ならない。話し方、考え方は、ほんらい一人ひとりの個に由来すべきであると、わたしは思っている。もちろん、ひとつの共同性のなかに在る時、共通の言葉、共通の感性というものが内在するのは当然だとしても、言葉によるコミュニケーションとは、個から他者(たち)へと発生するものである以上、ひとそれぞれの「物言い」となるはずであり、そうであるべきなのだ。
 つげ義春は、自作を振り返りながら、作品の発露としては、方言への関心があったようだが、むしろ「言葉と意識の関係」についての思いがあったと述べている。
 「『もっきり屋の少女』は方言というより言葉についてということを考えていたんですよね。単純な言葉づかいする者の意識ですね。その事をちょっと頭において描いたんですよ。この少女が二、三度、『みじめです』、何聞いても『みじめです』っていうんです。そういう単純な言葉で自分の気持ちをあらわすということ、その辺の言葉と意識との関係みたいなことが頭にあったんですよ。(略)少女のヒントになった大多喜の宿屋の女の子なんですけど、(略)ぼくはどてらを着て寝ようとしたら、彼女がどてらを着て寝ると『切ない』って言ったんですよ。『切ない』という言葉は普通そういうところでは使わないですよ。どっちかというと哀しいニュアンスですよね。モコモコして寝苦しいという意味だったらしいのですが。/そういう言葉づかいをぼくは面白いと思うんだけれど、単純な言葉づかいですべてを表してしまうような意識、そういう言葉と意識の関係について、『もっきり屋の少女』ではわりと意識して描いたんですよね。」(『つげ義春漫画術・下』)
 ここでいう、「切ない」という発語は、言葉の持つ深い位相を象徴しているといっていい。言葉が感性(あるいは心性)を表すものだとしても、身体性と切り離しての発語はありえない。だから、古語的な世界、あるいは方言的世界というものが、言葉の発生・祖型を内包しているということを前提とするならば、この場合「寝苦しい」という意味を持つ身体的「切ない」が転じて、心的で“哀しいニュアンス”を持った「切ない」となったと考えた方がいい。そもそも、表現・伝達としての言葉とは、単純でシンプルなものであるはずだ。文字も言葉もないかたちでのコミュニケーションの方が長い時間性を有してきた人類史において、身体的表出が通交のための重要な手段であったはずだ。身体言語から表現言語への展開が、プリミティブな関係構築を徐々に解体していったと考えられる。つげがいうように、「単純な言葉で自分の気持ちをあらわす」ことこそ、むしろ、現在のような只中では切実なこととしてあるといっていいかもしれないのだ。
 「むげいの家の/お父っつあは/きぐしねくて/やんだおら」、「そんなに物の/道理がわからん/オヤジなのかね」、「きぐし/ねいです」
 旅人とチヨジとの遣り取りである。「きぐしね」とは、「気癖」の変形だろうか。気難しいとか、短気とか、ひがみっぽいといった資質を指すのかもしれないが、主人公の旅人は、物の道理がわからないことと理解していることを思えば、そういう意味なのかもしれない。物語のうえでは、「きぐしねい」父は、チヨジにとって義理の父を意味していて、実母は、“むげいの家(向かいの家)”で同居しているという設定のようだが、なぜか、もっきり屋をチヨジ一人に任せているということになる。チヨジは、そういう自分の身の上を、「私は/一銭五厘で/買われて来た/のであります」「皆んなが/そういうんで/あります」「私は/みじめな/少女です」といって旅人に語っている。もちろん、「一銭五厘で/買われ」たというのは、ひとつのメタファーだったとしても、かつて(戦前)、わが国の寒村では、頻繁にあったことなのだ。しかし、「みじめな/少女」チヨジは、健気なのだ。旅人にお酌して、「きみはなかなか/慣れた手つきを/しているね」といわせている。そして、旅人は、「コバヤシさん/一パイやり/ますか」といって少女・チヨジにお酌をする。チヨジの切り返しは、「母ちゃん/一パイ/やっか」「アハハハハ/面白い/ね」と快活だ。そして、黙って旅人の手を自分の胸へと誘っていく。吃驚する旅人は、「おいおいきみは/こんな真似をだれに/教えられたの/かね」といって怒ってしまう。チヨジは、ただ「怒った/ので/あり/ますか」と怪訝な顔をして答えるだけだ。そして「自分の/境遇を/なんとも/思っては/いないのか/ね」という問い掛けに、チヨジは「みじめ/です」という。このような応答は、どこか異郷の物語として、わたしたちに直截な共感性を迫ってきて、チヨジが住まう〝もっきり屋〟は、ひとつの理想郷のような場所に思えてくる。しかし、この作品へのつげ義春の視線は、かなり鋭角的なのだ。
 「(略)旅人として地方に出掛けて行ったとき、とても入れないんですよ。そういうことは自覚して描いていましたけれど。現実にこの少女はこの土地で生活しているわけですから。生活者ですから、『沼』とか『紅い花』の少女とちがいますよね。(略)『長八の宿』のジッさんとか『ほんやら洞のべんさん』とか、自然のままに生きている人への共感というのがあったわけですよね。『もっきり屋の少女』にきて、共感したところで所詮は自分は都会の人間であって、追い出されてしまう、入っていけないということを確認してしまったんですね。」(『同前』)
 わたしたちにとって、都合のいい理想郷のイメージは、解体されていいのだ。つげ義春は、この作品以後、一年半近く作品歴に空白をもたらしている。思えば六八年から六九年という時制に、それは照応していた。

(『塵風』第4号・11.12)

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«全写真につけられたキズは荒木自身の3・11以後の心象そのもの。――荒木経惟 著『写狂老人日記』(ワイズ出版刊・11.10.11)